校長ブログ Blog

第16回霊的講話「イエス様が語られたたとえ話⑫」(1/31)

【イエス様が語られたたとえ話」の最終回です。
今回のたとえ話も割と有名なお話です。私たちも揺れ動くことのない人生の土台をもちたいですね。】
生徒の皆さん、おはようございます。
明日で1月も終わります。この1月では、高校3年生の多くの人が大学入学共通テストを受験し、その後も国公立大学の個別試験や私立大学の試験のために頑張っています。また、先週は本校の高校入学試験も実施されました。中学3年生の皆さん、二日間にわたる試験と面接、御苦労様でした。
また、日本や世界でも、この1月には様々な出来事がありました。特に、国際関係では、ドナルド・トランプ氏がアメリカ合衆国大統領に就任した後、矢継ぎ早に多くの大統領令を発したり、関税の大幅引上げなどで他の国との交渉を有利に進めようとしたりするなど、合衆国だけではなく世界の国々にも影響を広げています。多様性やマイノリティの尊重、あるいは地球温暖化対策などを重視してきた政策から、一気に正反対の政策に転換し、国民の考え方や価値観、社会通念さえも変えようとしている様です。トランプ氏は就任式で「私は常識の改革を始める」と演説しました。確かに、これまでの常識を疑い、より良い政策や方針を提唱して改革を行うのは大切ですが、客観的事実に基づいた十分な分析や検証による改革でなければ、より多くの混乱を招き、政治や経済の衰退にもつながるのではと心配します。
このような変動の激しい社会に生きる私たちですから、周囲に流されて自分を見失うことなく、まず、自分自身の考え方や判断をきちんともっていることが大切ですね。
さて、今日は、「イエス様が語られたたとえ話」の最終回として、新約聖書の12ページ、マタイによる福音書7章24節から29節をお読みしたいと思います。
「『そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。』
イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」
この箇所は、5章から7章にかけて語られた「山上の説教」と呼ばれる様々な教えの最後に、言わば締めくくりとして語られた話ですから、大切な意味がありそうです。でも、話の内容はいたって簡単です。家を建てる時には、しっかりとした岩の土台の上に建てましょう、崩れやすい砂の土台の上に建てると簡単に倒れてしまいます、という内容です。現代で言えば、家を建てるなら耐震設計で建てましょうということでしょうか。でも、ここでイエス様は、単に家を建てる上での注意をされているのではないのはもちろんです。では、イエス様は何を語られているのでしょうか。三つに分けてお話してみたいと思います。
まず一つ目は、イエス様はここで私たちの生き方、人生について語っておられるということです。私たちの人生にも岩のようにしっかりとした土台が必要だということですね。先ほど、現在の日本や国際社会の混乱についてお話ししましたが、どのように社会が揺れ動き、人々の常識や考え方が変化しようとも、自分自身は揺れ動かない土台、つまり、自分自身の人生観や価値観、生き方や考え方をもっているか、あるいはもちたいと願っているかが大切だと思います。
二つ目は、大切なのは、イエス様の言葉を聞くか、聞かないかではなく、イエス様の言葉を聞いて行う(実行する)か、聞くけれど行わない(実行しない)かだということです。
皆さんも、これまで、イエス様の言葉をたくさん聞いてきましたね。でも、実行しようとしてきましたか? 例えば、イエス様は、この山上の説教の中、マタイによる福音書の5章44節で「(あなたの)敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言っておられます。この言葉を聞いて、「自分の敵や迫害する者のために祈れなんて、高尚な(ハイレベルな)教えだなぁ」と感心することは簡単です。でも、この言葉を実行するのはとても難しいのではないでしょうか。愛に関するこのイエス様の言葉を実行しようとしたとき、初めて、自分の中にはそのような愛はないことに私たちは気付きます。そして、私たちは神様に祈り、愛することができるように願うことができます。そして、よく覚えておいてください。神様が何かを行うように私たちに求められる時には、神様は同時に、実行するための力をも私たちに与えてくださるのです。でも、聞くだけで終わるなら、あるいは、実行することを尻込みするなら、私たちは神様からの力を体験することはできないでしょう。
三つ目は、「わたし(イエス様)の言葉を聞いて行う」とは、その人の生き方、生きる方向性を示しているということです。聖書、特に旧約聖書では、「聞く」という言葉は「従う」という意味と一体になっています。「イエス様の言葉を聞いて行う人」とは、イエス様に聞き、イエス様に従うという生き方・人生を選んだ人だということができます。
イエス様は、その活動を始められた時、まず人々に「悔い改めなさい。天の国は近づいた」と語られました。前にもお話ししましたが、「悔い改める」とは、単に「悪かったなぁ」と後悔するとか反省するという意味ではありません。「悔い改める」とは「向きを変える」つまり「神様を無視した人生から、神様を中心とした人生に方向を転換する」という意味があります。「イエス様の言葉を聞いて行う」も同じで、一つ一つの行動だけではなく、その人の生き方そのものが変わることを示しているのです。
さて、生徒の皆さんに比べると、私ははるかに長い人生を歩んできました。そして、私自身が中学生や高校生だった頃、あるいは若い教師だった頃と現在とでは、世界も社会も、そして学校や中学生・高校生の生活も、全くと言っていいほど大きく変わっています。もちろん、改善された点、便利で良くなった点もありますが、昔は想像もしなかった問題、例えばSNSによる犯罪や人間関係のトラブルなども次々と生じています。同じように、生徒の皆さんがこれから生きていく日本の社会や国際社会もさらに大きく変化していくでしょう。そして、その変化は、若い生徒の皆さんにとっても予想ができない変化だと思います。現代の揺れ動く社会、そしてこれからも大きく変化していく社会で生きていく生徒の皆さんには、まずは自分自身のしっかりとした土台を見出し、社会の変化に対応しながらも、その変化に振り回されることのない、固い岩の上に建てられた人生を送ってほしいと思います。
それでは、最後に、ともに【主の祈り】を祈りましょう。