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2025/01/09

第15回霊的講話「イエス様が語られたたとえ話⑪」(1/9)

夜明け前の空

 【厳しい寒さの中、今年最初の霊的講話です。気忙しい日々を過ごす生徒たちですが、神の前に豊かな人生ってなんだろう?と考えてくれたら……、と思いながら語りました。】

 皆さん、おはようございます。とても厳しい寒さが続きますね。去年の夏のあの猛暑と、今の厳しい寒さを足して二で割ったぐらいの気候が一年中続けばいいのに、と考えているのは私だけでしょうか? インフルエンザや新型コロナも流行しているようですが、何事も先手必勝、早め早めの予防や治療が大切です。自分の健康は自分で守るという心構えで頑張りましょう。

 さて、この霊的講話では、イエス様が語られたたとえ話を紹介していますが、今日はその11回目になります。11回分紹介しても、イエス様のたとえ話は他にもまだまだあります。イエス様はかなりたとえ話の達人だったのですね。
 今日は、ルカによる福音書12章13節から21節をご一緒にお読みしましょう。新約聖書の131ページ、下の段です。
 「群衆の一人が言った。先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。』イエスはその人に言われた。『だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。』そして、一同に言われた。『どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。』それから、イエスはたとえを話された。『ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、「どうしよう。作物をしまっておく場所がない」と思い巡らしたが、やがて言った。「こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。『さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ』と。しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

 イエス様に対して、ある人がお願いをします。どうやら、自分の親の遺産相続について、自分の兄弟と揉めている様で、財産をきちんと自分にも分けるように、イエス様から兄弟を説得するか叱ってほしいというのです。もちろん、イエス様は家庭裁判所の裁判官ではありませんから、その役割を簡単に断ることはできました。でも、イエス様は単に断るだけではなく、その人の陥っている過ち、そして私たち人間が陥りやすい過ちについての大切な警告を、簡単なたとえ話を用いながら、私たちに語り掛けておられます。

 イエス様のたとえ話は実に分かりやすいお話です。ある金持ちの畑が豊作だったため、彼は多くの収穫に恵まれ、財産を何倍にも増やしました。その金持ちは急いで大きな倉を建てて収穫物を安全かつ確実に蓄え、これでこれから一生涯、安心して楽しく生活することができると喜んでいました。しかし、実は、その金持ちはその夜のうちに亡くなることが神様によって定められていたのです。いくら金持ちでも、死んだ後にまで自分の財産をもっていくわけにはいきません。

 もちろん、イエス様は余った収穫をきちんと蓄えておくこと自体を批判されたのではありません。イエス様が指摘されたのは、人間は、自分の命さえ自分の思い通りにすることはできないこと、そして、自分は財産を十分に蓄えているから、自分の生涯は安心で安全、幸せだと思い込いこむのは愚かなことだということです。

 そして、イエス様は最後にとても大切なことを言われています。「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
 「神の前に豊かにならない者」とはどのような意味でしょうか? 逆に「神の前に豊かな者」とはどのような人でしょうか? 皆さんはどう思いますか?
 私は、神様の前に豊かな者とは、頼りにならない富や財産に信頼しないで、神様に信頼する人だと思います。そして、神様が私たちに何を求め、神様は何を評価しておられるかを考える人、自分自身の生き方や考え方の基準を神様に置いている人だと思います。

 私たちは多くの場合、まず自分の考え方を第一にしています。この金持ちは、財産を豊かに蓄えている人こそが最も安全で幸せな人だと考えていたのでしょう。
 また、私たちは、人からの評価にも影響されます。他の人から「あなたは立派だ、優れている」と評価してもらえれば嬉しくて天にも昇ったような気持ちになります。でも、逆に「あなたって、何やっても大したことないわね」などとひどい評価をされれば、世の終わりが来たかのように落ち込んでしまいます。私たちは自分自身の考え方を大事にして、また、自分が他の人からどのように評価されているかを大事にします。
 でも、多くの場合、私たちは、神様が自分をどのように評価しておられるか、神様は私をどのように見ておられるかについては無頓着です。

 イエス様は、聖書の中で繰り返し言われています。「あなた方はまず神の国と神の義を第一に求めなさい。」神様が何を評価されているか、何をよいとされているかをまず第一に考えなさい、とイエス様は言われています。また、イエス様はこのようにも語られています。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら(つまり、本当の自分自身を失ったら)、何の得があろうか。自分の命を買い戻すために、どんな代価を払えようか」

 2025年という新しい年が始まりました。その始まりのときに考えてほしいと思います。私にとって、そして、あなたにとって、本当に豊かな人生とは何でしょうか。私が、そして、あなたが最も大切にしたいこと、大切にしなければならないことは何でしょうか。そして、神様の前に豊かに生きるとは、わたしにとってどのようなことでしょうか? では、今日の霊的講話は以上にしたいと思います。最後にともに「主の祈り」を祈りましょう。