校長ブログ Blog
待降節の話②(11/28)
【待降節のお話の2回目です。よろしければ御一読ください】
おはようございます。
清心の待降節も2週目に入りました。今日から始まる2週目のテーマは「平和」です。
考えてみれば、この一年は、日本でも世界でも「平和」とは程遠い出来事や事件あるいは戦争や紛争の続いた一年であり、平和を求め、平和の大切さを覚える一年でもありました。
さて、この「平和」という言葉は、新約聖書ではエイレーネーというギリシア語ですが、「平和」の他に、「平安」つまり、心の平安、心の穏やかさという意味もあります。日本語の聖書に訳す際に、人間社会については「平和」、人の心の中については「平安」と訳し分けているのです。社会や他の人々の平和、そして私の心の中の平安、どちらも私たちが求めているものですね。
ヨハネによる福音書の14章27節には、次のようなイエス様の言葉が記されています。
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」
イエス様が私たちに与えてくださる平和そして平安は、この世界の人間が与えるような平和や平安とは異なる、もっと本質的で奥深い平和であり平安である、そのような意味です。
また、同じヨハネによる福音書の14章1節には次のようなイエス様の言葉があります。
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」
イエス様が与えられる心の平安は、私たちが単純に素直にイエス様を救い主として受け入れ、父なる神様そして主イエス様に信頼することによって受け取ることができるのです。
そして、私は、自分の心に平安と穏やかさのある人がはじめて、他の人々の間の平和、日本や世界の平和を創り出すことができるのではないか、そのようにも思います。
イエス様は山上の説教の中で、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と言われました。私たちも、平和を実現する人、平和を創る人になりたいですね。
クリスマスは、「平和の君」としてお生まれになったイエス様を覚える時です。このことを心に留めておいてくだされば幸いです。