校長ブログ Blog
待降節の話①(11/21)
カトリック教会では、クリスマスまでの4週間を待降節(アドベント)と呼び、クリスマスを迎える心の準備をします。
清心中学校・清心女子高等学校では毎年、11月半ばから終業式までを待降節の期間として、毎週木曜日に全校で各クラスに用意されているローソクの灯の輝きを見つめながら、「待降節の祈り」を唱えて過ごす伝統を守ってきました。
今年もこの待降節が来ました。「待降節の祈り」では、校長からの短いメッセージもあります。簡単なメッセージですが、よろしければ御一読ください。
おはようございます。今年も、待降節に入り、クリスマスを迎える準備の時期になりました。先ほど説明してくださったように、清心では、今日から4週間にわたって「待降節の祈り」の時間をもちます。そして、それぞれの週にテーマを設けていますが、今日から始まる1週目のテーマは「希望」だそうです。
この一年、世界でも日本でも様々なことがありました。ウクライナ戦争もガザでの戦闘も終戦や停戦を迎える兆しはありません。日本でも、政治や経済の混乱、様々な社会不安が続き、私たちは先行きが見えない不透明感に覆われ、ともすれば将来への明るい希望も見失いがちになります。
新約聖書のマタイによる福音書では、イエス様が人々の前に姿を現された時の様子を次のように記しています。
「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」
この光とはイエス様のことですね。
また、ヨハネによる福音書では次のように記しています。
「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光に打ち勝つことはできなかった」
今の私たちも、周りが暗いなぁ、と感じるかもしれません。でも、暗闇が深いほど、その中の灯火の光ははっきりと輝いて見えます。そして、神様が与えてくださる光、主イエス様は、私たちに希望を与える光、希望の光なのです。
新約聖書には、「イエス・キリストを信じる者、イエス・キリストに信頼する者は、決して失望することはない」という言葉が繰り返し出てきます。
間違えてはいけません。私たちが信頼すべきなのはキリスト教という宗教ではありません。私たちが信頼すべきなのはイエス・キリストというお方です。この方に希望の光がある、と聖書は言っています。
待降節そしてクリスマスを通じて、皆さんがその意味を覚えてくだされば、とても幸いに思います。