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2024/09/13

第11回霊的講話「イエス様が語られたたとえ話⑦」(9/12)

 お早うございます。生徒の皆さんはお元気でしょうか? 清心祭も無事に終わり、次第に秋も深まってきました、と言いたいところですが、相変わらず、異常な暑さが続きます。皆さんも、今しばらくは熱中症対策などの健康管理をお願いします。

 さて、この霊的講話では、イエス様が語られたたとえ話を一緒に読んでいます。今日は有名なタラントンのたとえ話です。このたとえ話は、皆さんも、宗教の時間やその他の行事等で読んだこともあるかもしれません。

 それでは、新約聖書の49ページを開いてください。マタイの福音書25章14節~30節、新約聖書49ページ、下の段の左端からですね。これはイエス様が語られた言葉です。

 「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」

 この話に出てくる「タラントン」とは、重さ、あるいは貨幣(つまり、お金)の単位を示す言葉で、この当時、1タラントンは6千日分の給料にあたる額だったと言われます。現在の日本の最低賃金から計算すると、1タラントンは約4千8百万円、5タラントンでは2億4千万円近くになります。このお金をポンと僕たちに預け、帰ってからも、僕たちに「お前は少しのものに忠実だった」と言うぐらいですから、この主人がどれぐらいすごい金持ちであったかが分かりますね。

 このタラントンというギリシア語から、英語で才能や能力を表す「talent」という言葉が出てきたのですが、元々は「タラントン=才能・能力」ではありません。15節を見ると、(僕たちの)「それぞれの力(能力)に応じて」タラントンを預けたと書いてあります。主人は、僕達の能力を見定めて資金・タラントンを預けたのですね。

 そして、このたとえ話では、それぞれの能力をいかに伸ばして発揮したかということよりも(もちろん、それも大切ですが)、もっと大切なことが示されています。それは「神様から与えられた使命あるいは任務を忠実に果たす」ということです。5タラントンや2タラントンをもうけた僕は、いったい何を主人にほめられたでしょうか。ただ単にお金を倍に増やしたからほめられたのではありません。5タラントンでも2タラントンでも、金額そのものは主人にとっては「少しのもの」わずかなものに過ぎなかったのです。この2人の僕がほめられたのは、彼らが「忠実な良い僕だった」つまり与えられた使命に忠実であったからです。主人は、5タラントンもうけた僕にも、2タラントンもうけた僕にも、「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実だった」という全く言葉で語り掛けています。1タラントンの僕も、もし彼が忠実に仕事に取り組んでいれば、同じ言葉をもらえたでしょう。能力の大きい・小さい、あるいは結果の大きい・小さいは神様の評価には関係がないのです。しかし、1タラントンを与えられた僕はこのことを理解していませんでした。彼は、自分の主人は使命は与えても、その使命を果たすために必要な能力や助けは何も与えてくれない冷たい人だと思い込んでいた様です。そして、主人は、その誤った考え方をとがめられたのです。

 私はこのように思います。神様はまず人間に使命を与えられます。そして、神様は、その使命を達成するために必要な能力をも与えられるのです。でも、多くの場合、人間は自分の能力だけに注目します。そして、前回お話ししたように、ある場合は脇道にそれてしまって、互いの能力の大きい・小さいを比較して優越感や劣等感に振り回されます。しかし、このたとえ話は、自分に能力があるかどうかではなく、まず、私たちが神様から与えられた使命を自覚し、その使命を忠実に果たそうとしているかどうかを問いかけています。

 私は、私たちの学園の創立者である聖ジュリーについて考えます。聖ジュリーはまだ寝たきりで動くこともできない時に、幻を通して、シスター達が集う修道女会をつくる使命を与えられます。聖ジュリーは不自由な体でもその使命を果たそうとします。やがて彼女の病気は癒やされて歩くことができるようになり、多くのシスター達を組織して世界中に派遣するようになります。まず使命が示され、その使命を果たすために必要な身体的あるいは精神的な能力が与えられ、共に働く仲間や必要な資金が与えられたのです。私たちから見れば、聖ジュリーはとても大きな働きをした方だと思います。しかし、聖ジュリーはただ、生涯をかけて、神様から与えられた使命に忠実であろうとした人だった、と私は思います。

 そして、世界の歴史の中には、人々の目には小さくて目立たない働きであっても、忠実に使命を果たそうとした多くの人々がおられた、そして現在もおられるのだと思います。私たちが天国に行った時、神様から「よくやった、忠実な僕だ」と賞賛されている無数の人々にお会いできるかもしれません。

 生徒の皆さん、そして先生方はどうですか? 皆さん一人一人にも、神様はそれぞれの使命や役割を与えておられると思います。あなたにしかできない使命や役割は何でしょうか? そして、その使命に忠実であろうとするなら、神様は必要な能力や仲間も与えてくださるのだと私は思います。

 でも「そもそも、私は神の存在自体、信じられないし…」という人もいるかもしれません。でも、もし神が存在するなら、あなたが「神様、私が生きている意味や目的は何でしょうか」「神様、私の使命は何でしょうか」と祈り求めるなら、神御自身から応答があるでしょう。それが、あなたにとっての神の存在の証明にもなると思います。