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2025/03/01

第19回霊的講話「恐れることはない」(2/27)

校舎からの遠望

【今回の霊的講話では、イエス様とペトロの出会いを紹介しました。イエス様の一つの言葉で、ペトロは恐れから解放され、イエス様の弟子となったのです。】

 生徒の皆さん、おはようございます。2月も残り僅かになりました。そして、今日は高校3年生の送別会、今週の土曜日3月1日には清心女子高等学校卒業証書授与式が挙行されます。高校3年の先輩方ともいよいよお別れですね。運動部、文化部のいろいろな部でも送別会が行われたのではないでしょうか?
 卒業生の皆さんは4月から新しい人生に一歩、歩み出すのですが、聖書の中にも、イエス様に出会って新しい人生を迎えた人がたくさんいます。前回の霊的講話で紹介したパウロも、主イエス様に出会って、人生が180度変わった人でしたね。そう言えば、私も(パウロとは比較になりませんが)イエス様を信じることによって人生が変わった一人かもしれません。学生時代に神様を信じる決心をしなければ、私は教師になることもなく、岡山に来ることもなく、この清心中学・清心女子高校で働くことも皆さんにお会いすることもなかったと思います。

 さて、今日は、イエス様と出会って人生を変えられたペトロという人について、聖書から考えたいと思います。このペトロ、そして前回紹介したパウロも、イエス様と出会って自分の人生が変わるどころか、世界の歴史をも変えてしまうことになります。なぜなら、この二人によって新約聖書の中の多くの手紙が書かれ、また、この二人を中心としたイエス様の弟子たちの活動によってキリスト教の土台が築かれたからです。
 このペトロはイスラエルの北部にあるゲネサレト湖(ガリラヤ湖とも言います)という湖で漁をしていた漁師で、もとはシモンという名前でした。ペトロはイエス様に出会い、イエス様の弟子の一人となり、3年の間、イエス様と行動を共にします。そして、イエス様の死と復活の後は、彼は様々な国や民族の人々にイエス様が救い主であることを伝えました。そして最後に、これもパウロと同じく、ネロ皇帝の時代に、ローマにおいて殉教の死を遂げたと言われています。

 さて、今日お読みする箇所は、約2年半ほど前にも紹介しましたが、ほとんどの生徒の皆さんには初めての箇所でしょう。それでは、新約聖書の109ページを開いてください。ルカによる福音書5章1節から11節です。109ページの下の段ですね。この個所は、イエス様が初めてペトロとその仲間たちに出会った時のことを記しています。

「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモン(ペトロのことですね)の持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。
 話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。『恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。』そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。」

 ゲネサレト湖に来られたイエス様のもとには、その教えを聞こうと、大勢の群衆が押し寄せてきました。この群衆に囲まれて揉みくちゃにされては話ができませんから、イエス様はペトロたちに、船で少し沖に出て、少し離れた場所から群衆に話をしたい、とお願いをされました。その時のペトロたちは、徹夜で漁をしたのですが、結局は何も獲れず、疲れ切った体で網を洗っていたようです。でも彼らはイエス様のリクエストに答え、イエス様を乗せて船を出します。
 イエス様は、群衆に話をされた後、ペトロたちに、さらに沖に出て網を降ろし、もう一度、漁をしてみなさい、と勧めます。ペトロたちはどう思ったでしょう。ペトロたちは生粋の、言わばプロの漁師です。漁に関しては全くの素人のイエス様からあれこれ指図されるのは嫌だったかもしれません。でもペトロは「お言葉ですから、やってみます」と素直に従います。この素直さがペトロのいいところですね。その結果、おびただしい数の魚が網にかかったのです。
 ペトロはこの不思議な出来事をみて、このイエス様は神様が遣わされた聖なる方に違いないと思います。彼は思わず、「わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と叫びます。ペトロは無学な田舎の漁師でしたが、神様がどのような方かを知っていました。神様は慈しみ深く憐れみ深い方ですが、同時に、人間の心の内もすべてを見透しておられる方で、人間の悪や罪を見逃すことのない方です。ペトロは「罪深い私には、この方に近づく資格なんかない。近づけば、たちまち罰を受けて滅ぼされてしまうかもしれない」と考え、恐れたのでしょう。
 そのペトロに対して、イエス様は静かに語りかけられます。『恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる』 ペトロの人生を変えたのは、このイエス様の言葉です。「恐れることはない」神様は、そしてイエス様はいつも私たちに、「恐れることはない」、「怖がらなくてもいい」と語り掛けられておられます。

 私たち人間は、多くのことを恐れます。まず、私たちは、ペトロの様に、神様が私を裁き、罰を与えるのではないかと恐れます。でも、主イエス様は「恐れることはない」と言われています。なぜなら、主イエス様ご自身が、私たちのすべての罪を赦すために十字架にかかられたからです。
 また、私たちは、他の人を恐れ、他の人に批判されたり拒絶されたりするのを恐れます。でも、主イエス様は「恐れることはない」と言われています。なぜなら、神様が私たちを愛し、受け入れておられるからです。たとえ他の人が私のことを悪く言ったとしても、他の人の評価によって私の価値が決まるわけではありません。神様が私たちに「私の目にはあなたは高価で貴い。私があなたを愛している」と言ってくださっているのですから、それで十分ではないでしょうか。
 さらに、私たちは、将来、困ったことや恐ろしいことが起こるのではないかと恐れています。でも、主イエス様は「恐れることはない」と言われています。神様はいつも「強く雄々しくあれ。あなたがどこに行っても、あなたの神、主は共にいる。」と言ってくださるのです。

 この主イエス様の言葉によって、ペトロたちは恐れや罪悪感から解放され、喜んでイエス様の後についてきました。そのペテロたちに、イエス様は、「人間をとる漁師」という使命、つまり、人々に神様とイエス様を紹介し、人々を神様のみもとに連れてくるという使命を与えられたのです。このイエス様との出会いが、ペトロの新しい人生の始まりとなりました。
 さて、皆さんはどう思いましたか?あるいは、皆さんにも、皆さんの考えや思いを変えるような、あるいは人生を変えるようなインパクトのある言葉を、他の人からかけてもらった経験はありますか?
 それでは、今日も、御一緒に「主の祈り」をともに唱えましょう。