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2019/04/12

「言葉のちから」始まる!

 「新・清心」の取り組みの一つ、「言葉のちから」の時間が今朝から始まりました。水曜日の講話と同じ朝の20分間を使って、「言葉のちから」を養おうというプログラムです。今朝は、その意義と取り組み方の説明が放送でありました。どのような時間なのか、その意義を紹介します。



   

 聖書には、「ことば」という表現がよく出てきます。たとえば新約聖書のヨハネ書の第一章にはこのように述べられています。「初めにみ言葉があった。……すべてのものはみ言葉によってできた。……み言葉のうちに命があった。この命は人間の光であった。」ここで言葉というのはイエス様のことです。今日詳しくお話しすることはできませんが、とても短くまとめていうとこのように言えると思います。神さまの言葉はすべての存在を生み、動かし、育てる生命力であり、導きであると。そして、神様をモデルに作られたという私たち人間もまた、言葉によって思いや考えを確かめ、表現し、伝え、動かす存在であり、またその言葉を自分で、あるいは協力しあって実現する存在であると言えます。言葉は私たちにとってとても大切なものです。

言葉というと「わたしは発表や書くことは苦手」という人もいらっしゃることでしょう。たしかに自分の考えや思いを誰かに伝えるためには言葉を用いて表現する必要があります。ですから言葉を使って表現する技術や方法を学び身に付けることが必要です。つまり、表現としての言葉、「外に向かう言葉」を学び訓練しなければなりません。その機会がこの時間にはあります。

もう一つ大切な言葉があると思います。それは「内なる言葉」です。清心の「言葉のちから」の時間では、この「内なる言葉」を育てることを大切にします。 私たちは、自分の思いや考えをうまく言葉にできないと悩むことがありますが、では私たちはどのくらい自分の思いや考えを知っているでしょうか。把握しているでしょうか。言葉のちからをつけるには、まず自分の心の「内なる言葉」に向き合い、育てることが必要だと思います。

そのために、この時間に2つのことをします。

一つは、誰かが表現した言葉を落ち着いてしっかり聴くことです。多くは「読むこと」になるでしょう。他者が表現した思いや考えを「内なる言葉」として聴くことです。これのよってその人の感情や考えなどに刺激を受けることができます。もう一つは、自分の心の「内なる言葉」を聴くことです。自分の考えや感情と丁寧に向き合うことです。毎時間の短い黙想の時間は、自分自身の「内なる言葉」をきくためです。この二つは同時にできることもあります。この「内なる言葉」があってこそ、「言葉のちから」が得られるのです。さらに、自分がどのような人間なのか、何を大切に思っているのか、どのような物の見方考え方をしているのか、何を美しいと感じるのかなど、自分を知ることができるのです。本当の自分らしさや、自分をこれからどのように育てたいのかが見えてくることでしょう。

先生方も皆さんと一緒に「言葉のちから」に取り組みます。この時間が「内なる言葉」と「外に向かう言葉」を育み、皆さんの成長と自立の一助となることを願っています。