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~女性・障がい・貧困の連鎖について~
本校では体系的な女性学習を実施しており、先日高校3年生が学年の人権学習および聖ジュリーの日を活用して、「女性・障がい・貧困」をテーマに学ぶ時間を持ちました。
1年次に学んだ「女性への抑圧を知ろう」2年次に学んだ「女性問題って何だろう」に引き続き、ワークショップ形式の参加型学習で日本の女性が現在抱えている問題を知る機会となりました。
人権学習「女性・障がい・貧困」
対象生徒:高校3年生 文理コース・生命科学コース
目的:
・女性・障がい・貧困に関する構造的暴力を知り、望ましい未来に向けてどのようなアクションが必要かを考える。
・多様性を肯定的に受け止め、男女共同参画社会の担い手として、持続可能なより良い社会を築いていこうとする意識を持つ。
生徒の感想(抜粋)
私は、母が保育士だということもあり、障がいのある子ども達と会う機会が今までに少しありました。他の人達が障がいのある人達のことを可哀相というのを聞いたことがありますが、私はそうは思いません。私達とほとんど変わらないからです。私にだって苦手なことや上手く出来ないことが沢山あります。それと同じように、目が見えにくかったり、言葉を話すのが少し普通の人よりも苦手だということだと思います。だから、私達が何かしてあげるのではなく、一緒に何かすると考えないといけないと思います。障がい者は弱い立場という固定観念が染みついていますが、障がい者は私達と同じ立場だと感じます。女性にしても、障がい者にしても、そういう固定観念を取り払っていかないといけないと考えます。そのために私達も正しい知識を身に付けて客観的な視点で物事を見ないといけないと改めて思いました。
聖ジュリーの日の活動を振り返って、世界には様々な人がいて、共存していかなければならないということに改めて気付かされました。
女性・障がい者の貧困の原因の1つに、偏見があると思います。私も無意識のうちに偏見を持っているかもしれません。それをなくすためには、まず相手の立場に立って、相手の気持ちを理解することから始めるべきだと思います。
お話で一番印象に残ったのは、「違いを豊かさにする」という言葉です。「違いをなくす」のではなく、「豊かさにする」ということに意味があるのだと思いました。今日、全体の活動を通して、自分と違う人を突き放すのではなく、その違いを違いに理解、尊重することで、よりよい世界が築き上げられると思いました。私も聖ジュリーのように愛をもって人と接したいと思います。
前回の事前学習を通して女性の貧困について勉強しました。貧困といえば、発展途上国の国々を思い浮かぶのですが、先進国といわれている日本でもそのような現状に置かれている女性が身近に多くいることに驚きました。見た目では判別しにくいぶん、相談もしにくいし、孤立化してしまうのではないかと感じました。事前学習の時に映像で出ていたSさんに対して、最初は私も「自分の行動にも問題があるのではないか?」、「我慢すればいいのに」と思いましたが、ワークショップを通して、社会の仕組みにも原因があるのだと新たな観点から考えることが出来ました。今の制度では女性はもちろん障がいのある方々にとっては不十分なのではと思いました。女性、障がい者が貧困につながる負の連鎖を断ち切っていくためにはどうすれば良いのかと思います。まだ学生の私は法律を変えるなどといった直接的で大きな改革を起こすことは出来ません。しかし、聖ジュリーのように、周りの人に気を配ることからなら出来るのではないかと思います。最後の聖ジュリーの日でしたが、深く考えさせられました。卒業してもこの5月13日のことを忘れないようにします。
・最初「女性の貧困」と聞いて、あまりピンと来ませんでした。しかし、資料や動画を見ていくうちに、今の社会の事態を改めて考えさせられました。「貧困」と聞くと、海外の貧しい子どものことなどを考えがちですが、身近なところにも貧しさで苦しんでいる人がいると知り、灯台もと暗しだなと感じました。
・はじめのクイズで、障がい者の割合だけを見た時、少ない数字だなと感じましたが、世界人口の15%つまり10億人が障がいを持っていると聞くと、なかなか想像がつかないと感じました。学校でも障がい者授産施設が販売するクッキーを扱っていますが、資料にあったように、言葉の使い方によっては、レッテルを貼るような売り方になってしまうということが学べました。また、ラオスでは障がい者の割合が少ないように見えても、国や民族によって「障がい」の基準が違うと知り、それぞれの国の基準について調べてみたいと思いました。募金をすることは確かに良いことだけれど、それでは当事者がいつまでも甘えてしまって自立が出来ない、これは昨年度の世界史の授業でラオスについて取り扱った時に学びました。物を与えることは簡単だけれど、それを得る方法や作り方を教える方が相手のためになるのだと改めて理解を深めることが出来ました。今年度から「障がい者差別解消法」が施行されましたが、先生がおっしゃった通り、暗に現在障がい者に対する差別があることを肯定しているように聞こえます。しかし、この法律によって少しでも障がいのある方々が暮らしやすい社会になることを祈ります。
・今日の学びと、自分で決めた目標を胸に、誠実に生きていきたいです。
今日は、聖ジュリーについてたくさん学べた一日でした。今回の聖ジュリーの日は、私が人生で経験する最後の聖ジュリーの日でしたが、女性・貧困・障がいのつながりについて深く学ぶことが出来ました。一番心に残ったことは、先生がおっしゃった、「貧困を改善するには、継続的な支援が大切」だということです。私達が善意でしている募金だけは根本的な貧困の解決はのぞめません。ソーシャルビジネスのように、市場へ有償の商品・サービスを産み出しつつ、貧しい国を改善することが大切だと感じました。私も将来、ソーシャルビジネスに関連する企業を立ち上げたいし、社会の為に何か出来たらいいなと思います。
今日の貧困に関する人権学習で、貧困がさらに貧困を産む理由が理解できました。そして、その貧困を食い止める方法の1つとして、教育を受けることが大切なんだと気付きました。うちの学校ではチャイルド・ファンドなどでも私達が支援したお金が教育資金になっており、それはまさに「魚を与えるより、魚の釣り方を教える」で、募金だけではどうにもならない、人の手でしか出来ないこともあるのだと気付かされました。そして、もう一つ、情報へのアクセスルートを作ることも、貧困から抜け出す方法なんだと思いました。人々それぞれが、まず社会的立場の弱い人に向け、自分のことだけでなく、他者の気持ちになって物事を考えることが必要だと感じました。
障がいがあることがどう貧困につながるのかディスカッションして考えた結果、原因はたくさんあることが分かりました。例えば、職につきにくい、教育を受けることが出来ない(受けにくい)、制度が整っていないなどという意見が出てきました。これらの問題の具体的な解決方法は異なりますが、いずれにせよ最も大切なのは包括的な社会を築くことだといえます。多くの人々は既にこれに気付いていると思います。しかし「社会」というスケールの大きすぎる言葉により、理想的な社会ではなく、個人がばらばらになってしまっているとも思います。
「社会」というものを構成するのはあくまでも「個人」であるので、「NPOがいるから」や「養護学校があるから」ではなく、「自分と他の人々(障がい者を含む)」で社会を構成することを考えなければいけないと思いました。
・なぜ貧困と女性が結びつき易いのかをグループで話合い、どうすれば良くなるかということも考えることが出来たので、とても貴重な体験になったと思います。Sさんのインタビュー動画も、何がいけなかったのか、どうすれば良かったのかを自分の中で自問自答し、「私だったら」という考えることが出来たのも貴重な体験になったと思います。
・今日本には6%、世界には15%もの障がい者の方々がいることを知り、本当に驚きました。そして、障がい者の方々はたくさんの不自由を強いられていることも知り、法律で守り切れていないことをとても悔しく思いました。私は小さい頃から父とよくボランティア活動に参加させて貰い、様々案なことを学びました。それから「障がい者の基準とは何なんだろう?」と考えるようになりました。一般に普通の人だと思われている中にはアレルギーを持っている人も居ます。だけど障がい者とは言われません。私はこれは何だか少し違うのではないかと思います。つまり、私達全ての人間はそれぞれ障がいを持つ、障がい者とも言えるとも思います。だからみんな平等な立場にいるのでなないかと思います。私はこれらのことを改めて考え直すことが出来てとても良い時間を過ごせたなと思います。
・先生のお話を聞いて、「互いに支え合う」ということが大切なのではないかと思い、ひまわりの花に宣誓文を書きました。