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2015/10/07

「大連外国語大学中国語研修」 参加者の感想

去年総合的な学習の時間である発展科目「中国語」を履修した高校3年生が、自らの中国語スキルを高めるため、大連外国語大学での中国語研修に参加しました。そのレポートを紹介します。
大連外国語大学中国語研修参加レポート
        
日程 2015年8月5日~8月14日
訪問先 中華人民共和国 遼寧省 大連市・瀋陽市 大連外国語大学日本語学院
目的 中国語学習・中国文化体験・中国史学習
中国語の授業
日本語学院の教授による中国語授業がありました。基本的な挨拶から流行り言葉
まで幅広く学ぶことができました。
瀋陽市
瀋陽市は遼寧省の省都で、東北地方最大の人口を擁する中国東北部の主要都市の
一つです。瀋陽市内には清朝の故宮、清代のヌルハチの墓(東陵)とホンタイジの
墓(北陵)があります。入口から北陵に至る道には歩く人、太極拳や体操する人、
ダンスをする人、お見合いをする人などたくさんの人々がいました。また、飲み
物やお菓子やおもちゃを売っている店が立ち並んでいました。市内の中山広場に
は、満州国時代に建てられた奉天ヤマトホテルや毛沢東の像がありました。その
ホテルは現在も利用されています。車道には馬が走っていました。瀋陽滞在中の
お天気は晴れで、過ごしやすい気候でした。
大連市
大連市は中国遼東半島の最南端に位置します。東は黄海に面し、西は渤海湾に臨む港湾都市です。大連市内の中山広場には、満州国時代の大連ヤマトホテルや旧横浜正金銀行大連支店の建物があります。大連ヤマトホテルは現在も利用でき、昔はリットン調査団や溥儀も宿泊したそうです。また、市内を走る路面電車の車両には、満鉄時代の車両が使われていました。椅子はかなり古く、内装外装も当時のままで、当時を彷彿とさせました。また、市内には東洋一大きい星海広場があります。この広場には、大連市成立百周年を記念するために銅で作られた80mの彫刻があります。それには、老若男女1000人の足跡が刻まれています。また広場内には遊園地や売店、海水浴場やたくさんの銅像があります。東洋一大きいといわれるのも納得です。休日はたくさんの人でにぎわいます。ほかにも金石灘や大連聖亜海洋世界など様々な観光スポットがあります。ロシア人街という場所は1898年にロシアが大連租借権を獲得し、日露戦争で日本に敗れ撤退するまでの間に完成していたエリアです。ちなみに大連という名前はロシア語のダルニーに由来します。ロシアが築き、日本が育て、中国が引き継いで、大連はいまも発展しています。
旅順
大連市中心部から車で約一時間のところにある旅順。この美しい港町には日露戦争の戦跡が数多く残っています。日本人にもよく知られている二〇三高地。ここにはときの乃木希典が作らせた爾霊山の塔があります。この塔のある広場からあの旅順港を一望することができます。日露両軍の激戦の場、東鶏冠山北堡塁。ロシアが日本軍防御の為に建設しました。天然の岩、コンクリート、石などで造られていて、激戦の跡が今もなまなましく残っています。ここでたくさんの人が亡くなったのかと思うとなんとも言えない気持ちになりました。日露戦争が終わり、ロシアのステッセル将軍と日本の乃木将軍が会見した水師営会見所では、その内部に二人の向かい合った机が復元されていました。そこには、会見時の写真や解説がありました。机や解説の他に、南満州鉄道株式会社のロゴのついた懐中時計、
湯のみなど当時使われていたものが展示されていました。その会見所跡の近くには売店があり、満鉄の切符やロゴのついた日用品、絵葉書、田中絹代や高峰秀子、李香蘭などのポスターがありました。遼寧省大連市旅順口区。ここは満州国時代から何も変わっていないかのような、時の流れがゆっくり進む、古き良き街でした。
感想
この10日間の研修でいくつか気づいたことや嬉しかったことがあります。国際都市大連の発展のすさまじさと大連の人々のあたたかさ、そして中国の歴史の長さです。大連の人々は日本人の私に対してとても寛容で、「こんにちは」や「ありがとう」など知っている限りの日本語で声をかけてくれました。また昨年訪れたときに比べビルの数が増え、都会的な街の雰囲気になっていました。中国語を使う機会が充分にあり、中国の今昔を知ることができたこの研修に参加することが出来てよかったと思いました。
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