2006年04月30日
放課後、毎日交代で生命科学コースの1年生、2年生が生物教室の生物たちの世話をしに来ます。ちょうど今の季節は、オオイタサンショウウオが変態して、上陸を始める季節です。最初はピンセットを持って、ビクビクしながら餌をやっていましたが、新年度も約1ヶ月が過ぎ、餌をやっている生徒の姿も”日常の活動風景”になってきています。

投稿者: 秋山繁治 日時: 19:33|パーマリンク |コメント (0)
この時期には、フキは花を咲かせ、スギナはつくしを出して、胞子をばらまき、ヤマザクラが満開でした。


つくし(スギナ)

ヤマザクラ
投稿者: 秋山繁治 日時: 15:06|パーマリンク |コメント (0)
5月の連休前の蒜山高原は、岡山県南部の早春の風景です。山道には残雪があり、草原は枯れた笹に覆われています。昨日の昼間の蒜山の気温は16℃しかありません。


山道の残雪
投稿者: 秋山繁治 日時: 14:58|パーマリンク |コメント (0)
2006年04月26日
今年は、4月6日でも桜は写真の状態で、満開ではありませんでした。10日の入学式は、開花の状態は最高でしたが、あいにくの雨でした。・・・これから夢をもって新入生には頑張って欲しいです。
ハンセン病施設に桜の花見に大勢の一般の人たちが訪れていているようすが、テレビで放映されていました。ハンセン病患者の次の言葉はおもかったです。「この桜の花まで差別された時代があった。その時代には一般の方々がこのように療養施設に訪れてくださる日がくるとは思えなかった。そして、今、見ていただいている桜の苗を植えた患者の多くは、今のような時代がくることを知ることなく死んでしまっているんですよね・・・・」。
投稿者: 秋山繁治 日時: 20:07|パーマリンク |コメント (0)
2006年04月24日
2006年度委員(2006年4月24日決定)
以下の先生方の意見を聞きながら、SSH指定の学校としての科学教育を進めていくことになった。
富岡 憲治・岡山大学理学部生物学科教授(委員長)
治部 真理・文部科学省科学技術政策研究所上席研究官(副委員長)
秦野 琢之・福山大学生命工学部生物工学科教授(副委員長)
益田 芳樹・川崎医科大学生物学教室助教授
西松 伸一郎・川崎医科大学分子生物学教室講師
保江 邦夫・ノートルダム清心女子大学情報理学研究所教授
菊永 茂司・ノートルダム清心女子大学人間生活学部食品栄養学科教授
入江 泉・ノートルダム清心女子大学事務部長
平山 諭・倉敷市立短期大学教授
斎藤 観之助・川崎医療福祉大学医療福祉マネジメント学部学部長
佐野 淳之・鳥取大学農学部附属フィールドサイエンスセンター森林部門助教授
投稿者: 秋山繁治 日時: 10:25|パーマリンク |コメント (0)
2006年04月06日
卵のうの中に、双頭の幼生がいるのを確認していたが、無事に孵化した。

投稿者: 秋山繁治 日時: 17:04|パーマリンク |コメント (0)
2006年04月03日
Research Assignment
To start the “Life Science Course” and to make up a model educational program in a girls’ high school in order to support girls who wish to play an important part in a science and technology field.
Outline of Our Research Seishin Girls’ High School started a new course named the “Life Science Course” this April. The research has four main themes which we promote specially for the “Life Science Course” and officially offers the information to the public as a model program for girls’
high schools in order to support girls to enter science and technology universities, This special programs intent is to allow girls to play an important part in a science and technology field in the future.
1. To make up a new curriculum and educational program in order to support girls to play an important part in a science and technology field. To make two courses: “Life Science Course” and “Human Science Course” from the beginning when freshmen enter our school. To start three subjects: “Basic Life Science,” “Theme Study on Life Science” and “Extensive Reading in English.”
To provide subjects focused on science and technology: 19 credits in three years with a maximum of 25 credits.
To put an emphasis on laboratory experiments .
To make up scientific viewpoints on “Life.”
To provide a subject named “Life” and encourage students to think about “life” from various points of view.
To make up lessons using high technology and fruitful research in genetic engineering, embryological biology and laboratory experiments.
3. To make up teaching materials and methods to encourage girls to actively study science and technology in order to be a leader in the field of science.
To provide “Outdoor Practices” and “Institutional Field Trips.”
To promote lectures and practices with female scientists and university students.
4. To organize an educational programs with universities and technical institutions.
To link “Basic Life Science,” “Theme Study on Life Science,” “Life, ” “Outdoor Practices” and “Institutional Field Trips” together in order to provide an opportunity for students to study at various universities and technical institutions.
These kinds of educational activities will motivate girls to enter the science and technology field with enthusiasm. In turn setting off to change in modern Japanese society to accept more and more female scientists.
Special Treatments in the Curriculum
In “Life Science Course,” freshmen take “Basic Life Science” instead of “Information A” to gain one credit. Sophomores take “
Theme Study on Life Science” instead of “Information A” and “ Health” to gain one credit each, and study “Life” instead of “
General Studies” to gain two credits. In “Human Science Course,” sophomores take “Advanced Studies” instead of “General Studies” to gain two credits. In “Life Science Course,” freshmen,
sophomores and seniors take “Extensive Reading in English” to gain one credit for each.
Coordination with neighboring Universities.
Through “Outdoor Practices” at the Hiruzen Laboratory Woods at Tottori University, the university-level laboratory experiments, and lectures from the Life Engineering Department at Fukuyama University.
Coupled with various lectures from experts in field of Life Science,
we expect our students to gain a scientific viewpoint about “Life” and picture a stable future as women in the field of science and technology We intend to promote our relationships with our sister school, Notre Dame Seishin University, and our neighboring university, Kawasaki Welfare University. Moreover, we will improve our educational systems to have a closer relationship between our high school and university. We aim to communicate with each other to make up better educational systems.
International Understanding and Language Education
“Extensive Reading in English” encourages students to read as much English as possible. The program aims to collect information from Science Theses and to master English as a tool, and as a means of communication. We plan to start an overseas program for girls who are interested in science and technology, with a major focus on the environmental issues faced in Borneo, Malaysia.
In Okayama Prefecture, we have already two other high schools that have been chosen as SSHs. However, our school is a private girls’ high school, and many students are from various places in neighboring prefectures within the Chugoku and Shikoku districts. Most of these students reside with our school dormitory. Through extensive study and research at our school, we intend to promote and advance education in the field of science for girls all over the western region of Japan. Lastly, we hope that through our Science programs we will be able to contribute to the Science World by producing more and more female researchers in the fields of science and technology
投稿者: 秋山繁治 日時: 22:54|パーマリンク |コメント (0)
2006年04月02日
「生物教室ホームページ」、 「清心女子高校ホームページ」をリニューアルしました。

投稿者: 秋山繁治 日時: 16:08|パーマリンク |コメント (0)
2006年04月01日
「静かな革命」(「見えない革命」=Subtle Revolution)が始まっている。
・「‥耳を澄ませば、変革の確かな地鳴りが聞こえてくるはずです.その震源こそ、女たちなのです」(日本経済新聞社『女たちの静かな革命』日本経済新聞社、1998年8月)
・「‥ 女性の職場進出の流れはもはや後戻りすることのない大きな流れであると言えよう.その流れは社会経済を、また国民生活の姿を広範、多岐にわたって変えている」く経済企画庁編『平成9年版国民経済白書・働く女性一新しい社会システムを求めて』大蔵省印刷局、1997年11月)
・「新しい経済社会においては、年齢別、性別にとらわれないエイジフリー、ジェンダーフリー社会とし、意欲と能力に応じて各個人が十分に社会に参画して行けるようにすべきである」(経済企画庁棺『経済審議会報告書・構造改革に挑戦、経済社会に新しいダイナミズムを一大蔵省印刷局、1998年7月)
1.歴史の転換点としての現代
(1)「見える革命」としての10年・1989-1999
人権の拡大と深化の10年-「人間および市民の権利宣言」(1789年)から200年
「自由」・「平等」・「友愛」・「労働」(=「財産」)の権利
*フランス革命200年記念のパリそして天安門、ベルリン、ティミショアラ、モスクワ
(2)「見えない革命」=「静かな革命」がはじまって20年・1979-1999
(「女子差別撤廃条約」の国連総会での決議1979年一女性の労働権と子どもの養育の男女平等責任と社会的な責任を認めたこと
・「・・すべての人間の奪い得ない権利としての労働の権利」
・「・・社会及び家庭における男子の伝統的役割を女子の役割とともに変更すること
2.「見えない革命」=「静かな革命」を生み出す力
(1)経済は変わった
・ 日本の産業構造の変化・モノからソフトヘ
日本型企業システム=「会社主義」の解体→終身雇用、年切序列賃金システムの解体
家族賃金システムの解体、旧来の熟練労働者の解体
(2)労働市場は変わった
・フルタイムからパートタイムヘ
・労働力の女性化(20歳から59歳までの女性の労働力率は1975年54.2%→1995年には64.4%
・女性雇用者数の増加、1986年1584万人→1996年2084万人
(3)家族(性別役割分業家族)は変わった
・家族賃金システムの解体、働く妻の増加、
・労働力の再生産システム(子どもを産み育てる)としての家族機能の解体(結果としての少子化)
・「良妻賢母主義」イデオロギーの解体
3.21世紀への女性と男性の戦略
「静かな革命」をどう堆し進め、どう女性と男性の平等を実現していくか
(1)人権としての労働権
・女性にとっての労働権(働いて稼ぐ権利)
・高齢者にとっての労働権
・障害者にとっての労働権
・男性にとっての失業しない権利(ワークシェアリング・働き蜂の消滅)
(2)社会の構成単位は「家族」ではなく「個人」であること-『個』の時代がはじまる」
・子供の養育、高齢者の介護をどう社会化していくか
(1997年児童福祉法の改正、介護保険法の成立、改正雇用機会均等法)
・「ケア労働」の社会化、市場化(雇用の創出)
投稿者: 秋山繁治 日時: 17:17|パーマリンク |コメント (0)
■海外研修をただの観光旅行にしたくなかった
最近では、生徒も教師も海外へ出かける機会が多くなった。その原因は、国外への修学旅行や海外研修、海外視察などが増えたこともあるが、家族で海外へ行くことが多くなったこともあると思う。また、学校でも、いろいろな国からの留学生や教師に接する機会も増えた。現在本校にも、外国人の英会話教師が三人いる。十数年前、本校に勤め始めたとき、アメリカ人教師にとまどっていた自分が、いまでは彼らとスポーツを楽しんだり、英語の表現でわからないところを尋ねたりするようになり、自分自身の感覚も変わっている。
また、夏期海外研修が一九八二年から始まり、毎年三〇~五〇人の生徒が参加している。今年はハワイ州マウイとネプラスカ州オマハの柿妹校で、三〇人の生徒が参加した。海外研修は、英語教師だけでなく、いろいろな教科の教師が引率している。今年で一三年になる。
高校で生物を教える私だが、九四年八月上旬に、ハワイのマウイ島の姉妹校、セント・アンソニー校へ行く仕事ができた。海外研修に参加する生徒一五人を、添乗員と二人で引率するのである。生徒は姉妹校の生徒の家庭に一人ずつ振り分けられて、二週間のホーム・ステイの形で生活体験をした。実施された計画は、姉妹校の先生が考えたもので、その目的は、生徒に海外での生活体験をさせることと、英語による授業を体験させることである。自分自身も二週間、姉妹校の先生のお宅に滞在させていただきながら、そのプログラムに参加した。
このプログラムについては、事前の指導や姉妹校との相談は引率教師に任されている面があるので、参加する側からも課題を持って行こうと考えた。生徒がこの海外研修を、観光地めぐりと買い物が中心の旅と思ったり、お客さんとして英語の授業だけ受けて、大切にされてよかったと思うようなものにしたくなかった。
生徒には、事前に課題の本(『日米学校事情・男女交際ってなんだろう』池上千寿子著)と、銃社会・人種差別・エイズについての資料冊子を与えた。英文のエイズ・パンフレット (マウイ・エイズ基金で昨年提供していただいたもの)の翻訳も、出発までの課題として与えた。それから、事前に送られてきたプログラムを見て、エイズについての講義を企画してもらえないか、ということを依頼しておいた。与えた材料をきっかけにして、生徒自身が課題を持って現地で生活してくれることを期待した。
■ハワイとアメリカ本土では日本の扱いが違う
ホノルル空港に私たちが入国した日、七月三〇日に、日本から約一万人が入国した。ワイキキのエイズ・ホットラインの一九九〇年のデータによれば、ハワイ大学だけで毎年約六〇〇名の日本人が留学してくるという。日本人観光客への対応は慣れている。ワイキキには、日本人の一時滞在者にも日本語で対応してくれるエイズ・ホットラインが、一九九二年から用意されている。
海に囲まれたハワイ州はいくつかの島からなっていて、ほとんどの観光客は人口の一番多いオアフ島に滞在する。私たちが滞在したのは、サトウキビ畑とパイナップル畑が広がるマウイ島である。マウイ島は、大きさではハワイ州で二番目で、火山活動が活発で人の住める地域の少ないハワイ島に次ぐ。人口では、ホノルルのあるオアフ島に続いて二番目である。マウイにもホテル街はあるが、オアフ島滞在の観光客がオプショナル・ツアーでやってくることが多い。観光地であるラハイナの商店街やハエヤカラ火山では日本人に会うことが多いが、ホーム・ステイで生活している限り、日常生活で日本人に会うことは少ない。
ハワイ州だけ訪れると、日本とアメリカの関係はかなり相互に深いことがわかる。また、日本の情報も十分に得ることができる。しかしながら、アメリカ全体としては、日本とどのような関係にあるのだろうか。朝日新聞が九四年三月八日に報道した、日米テレビ報道記録がある。その記事によると、日本側ニュースのうち、アメリカまたは日米関係について伝えたものは一一二一項目、三四時間五四分三六秒。逆にアメリカでは、九二項目、三時間五分。日本の報道量は項目数にして、アメリカの報道量の約一二倍になる。日本がアメリカを重視している面が浮き彫りになってくる。逆に、アメリカは日本を極東の一つの国として報道していることがわかる。ハワイ州はどうだろう。ケーブルテレビでは日本語放送もあり、日本のドラマが放送されている。日本の情報は非常に多い。日系人も日本人も多い。ハワイ州はアメリカの一部だが、日本人の思いのなかで「最も近いアメリカ」として存在するかもしれない。
■授業で感じた日本のエイズ教育の問題点
姉妹校でもエイズについての授業経験があるということで、今回の研修のなかでもエイズの授業をしていただくことを依頼した。以前には、エイズで子どもを亡くした人を招いての授業をされたこともあるそうだ。今回は、ワイキキ・ヘルスセンターに勤める馬場めぐみさんに講義していただくことになった。
アメリカでは、サンフランシスコなどの日本語を使う人の多い地域では、日本語によるエイズ・ホットラインが用意されている。ワイキキでも、一九九二年の夏から日本語によるエイズ・ホットラインが開設された。そのサービスで、日本語による講義も受けられるということで、姉妹校をとおして交渉していただき、講義が実現した。
彼女は、数日後に日本での国際エイズ会議に出席する予定であったにもかかわらず、二時間の講義と、昼食の時間に情報提供をしてくださった。生徒に質問しながらエイズの基礎知識や感染予防の説明をし、自分がボランティアで日常的に接しているエイズ患者の気持ちも含めて教えてくださった。ハワイ州は人口約一二〇万人そのうちHIV感染者は推定七〇〇〇~一万人と言われ、生徒はその多さに驚いていた。エイズに直面した場所で、最前線で働いている方に指導していただけたのは、生徒にとっても私自身にとっても幸運だった。
講義のなかで、感染予防の話になったとき、実際にコンドームを持ってこられて、生徒はびっくりしながらも積極的に聞き入っていた。日本とは違った雰囲気のなかでの授業は新鮮だった。感染予防の避妊具や性器の模型まで使ってのストレートな授業のなかで、時折混ぜる感染者についての話に、感染者の立場が大切にされていることが感じられた。
確かに、共存しかあり得ない状況と、比較的患者・感染者の少ない日本とでは、状況は異なっている。そして、それを支える文化そのものも異なっているが、日本でのエイズ教育が一般的に、あまりにも「公衆衛生的」、つまり「感染予防」中心のもので、感染者・患者の立場が抜けているのを感じた。しかも、日本では予防が重視されているように見えながら、コンドームを見せるかどうかさえ問題になるわけで、予防に必要な初歩的な知識教育すらなされていないという、絶望的な状況である。
■『イエロー・キャプ』の女性たちに見る日本文化
講義後の話のなかで、家田荘子の『イエロー・キャプ』の話になった。この本には、自由奔放に性の快楽を求める若い女性の姿が措かれている。馬場さんは、日本女性が自分から求めて行動しているのではなく、異文化のなかで、文化の違いを理解することなく、異文化に流されて行動している結果ではないかという。
例えば、何事にも結果をあいまいにする日本の文化が、いろいろな問題の原因をつくっていると言われた。日本の学校では、授業中にはもの静かに黙っていて、恥ずかしそうに話すことはそんなに問題にならない。私自身の経験では、むしろ日本では、陽気ですぐに意見を言う生徒のはうが、問題のある生徒ととらえられやすい。異文化で育った帰国子女や交換留学生の抱える問題は、文化の相違から生まれたものであることが多い。教師の社会も、研修会で指導講師に対して意見があったりはない。「沈黙が承認を意味する」社会である。ところがアメリカでは、「沈黙は金なり」にはならない。自分の意見をきちんと表現することが重要視される社会である。
馬場さんは、日本の女性は男性に誘われたとき、つきあいたくなくても「あなたは私のタイプじゃない」とはっきりと拒否できない場合が多いのではないか、と言う。アメリカでは、男性は女性がはっきりと拒否しないことで「嫌われていない」と判断し、何回か声をかける。そのうちに、日本人女性の場合は何回も断っては悪いということで、「一回のドライブならいい」と一人で出かける。結果として、「性的な被害」に遭ったり、「奔放な行動」になったりするというのだ。
その話を聞いたとき、今回彼女の授業を受けたときの、最初の生徒の様子が思い浮かんだ。馬場さんから質問されても、知っているのか知らないのかはっきり返事をしない状態があった。心のなかで、「習ったことは習ったと積極的に言えば、もっと多くの、いましか聞くことのできない話を聞けるのに」「主張し、反応しない限り、講師のほうは通りいっペんの基礎知識の話しかできないのに」と叫んだ。講義が終わったあとで、「もっと話を聞きたいから昼食を一緒に取ってもいいか」と言う生徒がいた。いろいろな話をしたあと、馬場さんが「それだけ事前に知っているなら、実際にエイズ患者の人にきてもらえば、もっとよく理解できたのにね」と言われた。
■実名報道には差別と戦うという視点もある
エイズについての報道の状況も、ハワイと日本ではまったく違う。地方新聞「THE MAUI NEWS」には、私の滞在した二週間に、二件のエイズによる死亡記事が掲載されていた。実名での報道である。記事には、遺族や友人の名前も掲載されていた。日本でエイズが原因で死亡した場合、それが報道されたのは、いままで何件あっただろうか。最近の数少ない報告のなかに、九四年五月二九日に亡くなった平田豊さんがいる。彼の名前は実名ではなかった。日本の場合、なぜ実名ではないのだろうか。
時代や背景は異なるが、感染性の病気による差別という点から見ると、エイズと同じような問題点を持った病気にらい病(ハンセン病)がある。らい病をめぐる差別の状況は『砂の器』という映画に描かれている。殺人事件の解決に向け、刑事が推理し、調査していく形で物語は進んでゆく。最後に、らい病に罹ったがゆえに故郷を捨てた親子の姿が、テーマ曲「宿命」に乗せられて描かれる。テレビで松本清張の追悼番組として放映されたとき、「この作品は差別があった時代の作品です」 というテロップが流れたのを思い出す。
もう差別される状況はなくなったのであろうか。私は、九二年一二月二日に岡山市邑久郡の「ブルー・ハイウェー」で起きた、ワゴン車とトラックの正面衝突事故を思い出す(この事故がきっかけとなり、「ハイウェー」という名称が高速道路との誤解を生むということで、「ブルー・ライン」という名称に変わった)。大型トラックが追い越しをしていて、対抗してきたワゴン車に衝突した事故だった。ワゴン車の運転手は、国立療養所のらい病患者だった。同乗のらい病患者五人とともに全員死亡した。翌日の新聞には、六人もの死亡者が出たのに、具体的な名前は報じられなかった。名前が語られない死であった。
新聞やテレビ局のような報道機関には、公共性を持った情報を伝える義務がある。しかしその反面、プライバシーを侵さない責任もある。「お悔やみ欄」や死亡事故の記事では毎日のように「個人の名前」が報道され、それを当然のように受けとめることができるのは、そのことによってプライバシーが侵されたり、不利益を被ったりする危険を感じないからである。らい病患者の「名前のない死亡記事」は、やはりまれなのである。名前を隠したほうがよいということは、名前を出すことによって不利益を被る場合があるということを意味する。
死んだときでさえ、名前を出すことがプライバシーを侵すことになりかねない。それはどんな状況であることを意味するのだろうか。その人が個人として名前を持たなくてよい、ということを意味するのではないか。国立療養所のなかで、本名とは別の名前を語り、死亡しても身内に引き取られない。そのような現実が、現在もまだあるのだ。
報道の姿勢は、その国の文化をもっともよく現すと思う。日米の死亡報告記事には、明らかに差がある。確かに、エイズについての差別があること、そして、差別しないようにと呼びかけていることは共通している。しかしながら、いまの時点で、アメリカのように公表し、説明することによって差別を克服しょうとする社会と、対応のしかたが依然としてらい病への場合と変わらない状況の社会では、まったく異なる。
話は少しそれるが、最近テレビの犯罪報道で、詳細に犯人の情報を得るために、事件の起こった地域社会の人や個人の家庭まで踏み込むことが問題になっている。犯罪報道は、危険を知らせるためや、犯罪を犯すことに対する警告の意味での公共性を持っている。しかし、その報道のために、一般市民までがプライバシーを侵されるかもしれない危険を感じ始めたことで、問題になり始めたのだ。エイズであることを公表することによって、まわりの人も危険を感じる社会は、やはりおかしな社会だ。海外研修で学べるのは語学だけではないはずだ。
■海外研修で学べるのは語学研修だけではないはずだ
ハワイに行くことになったとき、一般の会社に勤める友人に「ハワイに行けるの。いいな-」と言われた。彼は観光地としてのイメージを、すぐに思い浮かべたのだと思う。確かにそれが、ほとんどの日本人が持つハワイのイメージだと思う。行き先が沖縄であったらどうだろうか。会社の旅行の場合はマリンスポーツや観光を想像するかもしれないが、学校で行く場合は、沖縄のイメージは平和学習の対象としての広島のイメージと重なる部分がある。つまり、戦争による被災地という共通項を持つということがある。だから、生徒にとっての学習目的の旅行先となる。
しかしながら、海外研修の場合、学校の研修旅行であっても観光や語学研修のイメージが強い。本校でのハワイ州マウイ島への海外研修についても、観光と語学研修という色彩が強く、また希望して参加する生徒のはうもそのように理解している。
今回の海外研修では、引率者の裁量の部分で、課題を持って挑むスタイルを実施してみようと試みたが、実際のところ、生徒に気持ちが伝わったかどうかは疑問である。しかしながら、何らかの文化の違いを語り合える課題を持つことによってこそ、本当の意味での交流がはかられるのではないかと思う。参加した生徒のなかに、教室での英語の授業について不満を言う生徒がいた。その意見は、「日本でもアメリカ人教師の英会話の授業がある。その場所でないと経験できないものでないと意味がない」というものであった。
本校の海外研修では、生徒全員が和服を持参することが恒例となっていた。しかし、今回は自分で判断して、持っていきたい者だけが持っていくということにした。それは、生徒各自が心のなかに自分なりの課題を持って研修に挑んでほしい、と思ったからだ。海外研修や国際交流では、観光地を案内され、民族衣装とダンスを拝見し、こちらからは日常的に飲まないお茶とあまり着ることのない和服を紹介するという形から、一歩進んだものが必要である。
最後に、今回の研修に参加できてよかったというのが、私の意見である。それは、「観光地でゆっくりできてよかった」という意味ではなく、「いままで感じたことのない文化の違いを意識できた」からだ。まだまだ多くの魅力がハワイにあると思う。多くの日本人が滞在し、日本人によく応対してくれるからこそ触れることのできる文化があると思う。ハワイを観光地としてだけでなく、いろいろな角度から検証してみてはどうだろうか。世界にはいろいろな国がある。とらえる視点によって、無数の課題を見つけることができる。
ある英語教師の一言を思い出す。「英語を学ぶことによって、日本語を考え直すことが重要なのだ」という言葉だ。いまでは、英語は日本語を考え直すための材料としてだけではなく、実際に必要とするようになってきた。しかしながら、いまでも、英語が日本語を考え直すための材料になっていることは変わらない。海外研修で外国の文化に接し、違いを感じることによって、いまの日本文化を考えてみる材料にしてもいいのではないか。
現地で手に入れたエイズのパンフレットに、次のような個所がある。
「ハワイというところは、たびたび大陸にある合衆国から取り残されて、忘れられています。本土からわれわれ (ハワイ)を、ときには本当にたやすく分離しよす(特に、エイズやHlVのように、むしろ伝えたくない問題 を扱うときには)。 HIV(もしくはエイズ)について、今日公に明らかにされていることのはとんどは、本土に住む人たちに用意されたものです。それゆえに、ハワイの人々への HIVやエイズの影響は、とても軽んじられています(特に、アジア系の人や太平洋の島の地域社会では)。
私たちは、自分の近くにいてよく知っている顔を、病気で私たちの助けを必要としている人々だとはわからないでしょう。だから、私たちは自分自身にとってこの病気は、『自分』には影響のない(彼らだけのものだ)と考えるのです。不幸にも、ハワイの人々の間で、エイズの報告数は増え続けています。そして、私たちの愛する人にふりかかるこの病気に、私たちもまさに直面しようとしているのです。
ハワイには、HIV感染しながら生きながらえている『隠れた人々』も多くいます。『恥』という文化的な見方によって、多くの人々の態度や行動、ふるまい、助力が規制されています。知らずに感染した人も多くいます。それは、検査を受けたことがなかったり、ウイルスに対する抗体が見つけられるはど増えていなかったためです。差別されたり、『エイズになった人』としてレッテルを貼られたり、家族や友人から避けられたりするのを恐れて、自分が感染しているのをだれにも言わない人たちもいます。
エイズのような難病を経験している家族や友人、そして、われわれの同胞を擁護することは大切です。いま、これはど助けを必要としているときはないのです。本当に恥ずべきことは、私たちがその助けを与えることを怠ることです」
この文章から、あなたは何を感じるだろうか。ハワイという地の、観光地として以外の側面が感じられたのではないだろうか。
投稿者: 秋山繁治 日時: 17:15|パーマリンク |コメント (0)
性教育の目標(中学高校共通)
|
| 1.からだ、いのちの主体者として育てる。 自分や異性のからだ、生理的変化、特徴を知りそれをプライバシーとして大切にする考え方を育てる。 |
| 2.生きる自信と自己肯定の感覚を育てる。 生命誕生、出生について理解し、自分のルーツを知ることによって人間や自分自身への自信を育てる。 |
| 3.自らの性的な成長を見通し、ジェンダーアイデンティティーを確立するとともに多様な性への理解をすすめる。 自己否定することなく自分としてもっとも安心していられるアイデンティティーを大切にする心を心を育てる。 |
| 4.対等平等な性関係、人間関係を創造するという意識を育てる。 人間の性の喜びを分かち合い、生きがいに結びつく人間関係をつくっていくものとしてとらえる価値観を育てる。 |
| 5.自律的な性行動、自己決定の考え方を育てる。 自分のとった行動がどのような結果をもたらす可能性があるのか、自分にとって相手にとって、そのからだ、こころ、人生にとってどんな影響をおよぼすのかを予見し、トラブルに巻き込んだり、巻き込まれたりしない考え方を育てる。 |
学校教育における性教育の位置づけ(中学高校共通) |
||||
性教育 |
知的学習面
|
教科 |
知的理解 | 保健・生物・社会・家庭 |
| 情操陶冶 | 国語・音楽・美術・書道 | |||
| 価値観形成 | キリスト教倫理 | |||
体験的学習面 |
集団的指導 |
生徒会活動 学校行事 学級指導 |
||
個別指導 |
カウンセリング 生活指導 保健室指導 |
|||
中学校指導内容 |
一年生 |
2年生 |
3年生 |
| HR活動 | 自分自身をよく知ろう 二次性徴と思春期 子供を産み育てる 容姿コンプレックス |
女性と男性のかかわりを考えよう 性行為感染症 性の商品化 女と男の素敵なふれあい |
女性と男性の豊かな人間関係目指して 避妊と人工妊娠中絶 セクシュアルハラスメント 芸術とポルノグラフィー エイズとともに生きる 結婚の意義と家族 これからの私たち |
| 聖ジュリーの日 | 聖ジュリーの生涯とその目指したもの・その精神の今日における実践のあり方。 思いやり体験、施設での奉仕活動体験 |
||
| 同和教育 | 人権・障害者・部落問題 | ||
宗教 |
学園の精神 心の清い愛の人とは |
神の似姿である人間の使命 愛の教え |
人間の尊厳 生命尊重 |
社会 |
人種問題 | 女性の法的地位 | 基本的人権 女性の地位と役割 両性の本質的平等 |
理科 |
動物の受精・植物の受精・有性生殖と無性生殖・遺伝・宇宙の中の人間 | ||
家庭 |
家庭生活(家庭の中での役割) | 食物 | 保育 |
保健 |
二次性徴 | 性感染症 エイズ |
|
中学校指導内容 |
一年生 |
2年生 |
3年生 |
| HR活動 | 自分自身をよく知ろう 二次性徴と思春期 子供を産み育てる 容姿コンプレックス |
女性と男性のかかわりを考えよう 性行為感染症 性の商品化 女と男の素敵なふれあい |
女性と男性の豊かな人間関係目指して 避妊と人工妊娠中絶 セクシュアルハラスメント 芸術とポルノグラフィー エイズとともに生きる 結婚の意義と家族 これからの私たち |
聖ジュリーの日 |
聖ジュリーの生涯とその目指したもの・その精神の今日における実践のあり方。 思いやり体験、施設での奉仕活動体験 |
||
同和教育 |
人権・障害者・部落問題 | ||
宗教 |
学園の精神 心の清い愛の人とは |
神の似姿である人間の使命 愛の教え |
人間の尊厳 生命尊重 |
社会 |
人種問題 | 女性の法的地位 | 基本的人権 女性の地位と役割 両性の本質的平等 |
理科 |
動物の受精・植物の受精・有性生殖と無性生殖・遺伝・宇宙の中の人間 | ||
家庭 |
家庭生活(家庭の中での役割) | 食物 | 保育 |
保健 |
二次性徴 | 性感染症 エイズ |
|
| 高等学校では、性教育委員会が中心になって、各教科以外にホームルームの時間に性教育の時間を設定している。従来は講演会や映画が中心であったが、現在では、各HR担任が教室で指導している。高校3年間使う共通の教材として「ヒューマン・セクシュアリティー」(一橋出版)を使用している。 |
投稿者: 秋山繁治 日時: 17:15|パーマリンク |コメント (0)
2005年8月 現代性教育研究月報vol.23,No.8,p1-5.(PDF)
■はじめに
中学校では2002年度、高校では2003年度から学年進行で、「総合的な学習の時間」が実施されている。生徒が自ら学び自ら考える力や学び方やものの考え方などを身に付けさせ、問題を解決する資質や能力などを育むことを目的にするということであったが、文部科学省の義務教育に関する意識調査(2005)で「総合的な学習の時間」について、中学校の教員の過半数が否定的な評価をしていることが分かった。57%が「なくすべき」としている。否定する理由は、「基礎的・基本的な学習がおろそかになる」、「教科との連携が不十分で学力が身に着かない」など学力低下を懸念するものが多かった。また、高校の教員でも、ベネッセ総研の調査(2003)で、約6割が、否定的な評価であった。「生徒の個性が伸ばせる」という点について、「あまりそう思わない」と「全然そう思わない」を合わせると64.6%。「生徒が興味関心を持つ」に63%、「生徒に自ら考えさせる力をつける」に56%が否定的であった。そして、指導方法について、「どのようにやったらよいのかわからない」が69.7%であった。
今、多くの教員が総合学習という新しい枠組みに対して、従来の教育観で捉え、不要論を唱える中で、私自身は、高等学校の「総合的な学習の時間」の枠は横断的な学習ができる点で、大きな可能性をもっていると考えている。そして、「性」を中心にすえた展開によって、人間関係の希薄化する社会で、「生きる力」を育てる教育が実践できるのではないかと考えた。今回は、「総合的な学習の時間」の導入に先駆けて、本校独自の自由選択科目「発展科目」(高2対象2単位)の枠の中で1999年度から開講している授業「生命」について報告したい。
■授業「生命」はどのように進められているか。
授業「生命」では、「性」についての知識を学ぶことから出発して、人には多様な考え方があることを認識し、最終的に生徒自身が「どのように生きるか」を再考することを目的にしている。具体的な手法は4つに分けられる。①知識の習得を目指した「講義」(担当者以外に校外講師にも依頼)。②グループ討議や心理テストなどによる「自己分析」。③与えられた課題レポート作成のための「調査活動」。④プレゼンテーションをするための HTML形式での「課題レポート作成」である。各回の授業の感想は、e-mailで提出することになっている。
授業の中核をなすのが「調査活動」で、正解のない課題に教師と生徒で調査や作業をしながら取り組み、共に考える過程を取り入れている。「知識をもった教師が生徒に一方的に教える」という今までの授業では、教師と生徒が興味を共有できるような授業ができないと考えた。知識中心の授業で「教科書に載っていないことは、勉強しなくてもいい」とか、「テストに出なければやらなくていい」という損得の基準で物事を考えるようになってしまっている生徒も多くなり、ボランティア活動でさえ、評価されるからやるという発想になってしまっている状況を打破するためには、生徒にとって魅力のあるテーマを今までの授業とは違う観点から考える必要がある。
前期の「調査活動」の課題は「野外彫刻は猥褻か芸術か」である。野外彫刻の調査をテーマにしたきっかけは、「野外彫刻の設置が猥褻、あるいは女性蔑視につながる」とする意見に対して、自らの調査過程を踏まえて、最終的に女子高生としてどのような意見を持つか、私自身が知りたいという気持ちから出発した。授業は、次の①~④の順に進めている。①野外実習:30名を5名ずつに分け、班毎に調査地域を分け、90分で往復できる調査計画を立て現地へ行き、1人1つの野外彫刻を見つけてデジタルカメラで撮影し、作者紹介などの掲示物や設置環境、感想を調査表に記録する。②自分自身での調査:新たに自宅周辺や通学途上で見つけた野外彫刻を①と同じ方法で調査する。③レポート作成:持ち帰った記録表からレポートを作成し、プレゼンテーション用にHTML形式のファイルを作成する。④多様な立場の意見聴取:野外彫刻作者である彫刻家の意見と、野外彫刻から女性問題を考えている女性グループの方の意見を聞く。⑤自分自身の意見:レポートに自分の最終的な意見を書き加えて完成させる。
後期の課題は、「学校飼育動物は、生命尊重を考える教材になっているか」である。出身小学校に行って、動物の種類や飼育環境について調査し、ペットや飼育動物の死を考えるなどの考察を行っている。
■授業「生命」で何を伝えたか。
授業「生命」は開講して7年になるが、人気講座として定着してきている。「総合的な学習の時間」が設定される前の段階では、「そんな授業をして大学受験の邪魔にならないのか」などの意見があったが、私は「生き方」を考えることが、将来を考える動機となると考えた。事実、これまでに講座の内容そのものが直接的に進路につながった生徒も多い。「生き方」を教育するとは、「考え方」を一定の方向に導くというものではない。提示された材料(教育内容)を生徒自身が学んでいく過程で、「考え方」を身につけていくものである。したがって、この授業は、考える材料の提供(話題提供)の役割をするものであり、どのように考えるかの試行錯誤をどのように体験させるかが指導上重要になる。「生き方」を考える教育では、教科指導のように多くの知識を持った優位なものが劣位なものに一方的に教えるという図式は成り立たない。適切な材料を供給できるかどうかが大切で、指導する側がどのような経験をし、どのように生きてきたかという自らの生き方が問われることになる。
授業「生命」は、調査活動を重視することにより、学習者は普段見過ごしている身近なところにもテーマがあることに気づき、課題解決のための情報収集をインターネットに依存することなく、自分の足で歩いてデータを得るという体験を通して、「どのように生きるか」について再考し、結果的に「性」について学習することができると感じている。授業「生命」で「性」を扱っているのは、「生き方」を考える上で、「性」の問題が重要だと考えたからである。
■「性教育」はいつの時代にも必要とされている
性教育の必要性については、これまで多くの調査で確認されてきたことである。「あなたは、性教育を積極的に進める必要があると思いますか」という問いに対して、山口県養護教員会の教員対象の調査(2002)で、小学校98.8%、中学校90.1%、高校83.5%が「必要である」と答えている。岡山県性協議会の教員対象の調査(1993)でも、97%、本校の調査(1996)でも96%が「必要である」と答えている。このように、性教育の必要性については、多くの教員が認めている。このことは、私が性教育に取り組み始めた1986年から変わらない。1990年代になって、エイズが社会的な問題になり、性教育の実践がマスコミにも取り上げられ、特に盛り上がった時期もあった。そして、1999年には文部省から「学校における性教育の考え方、進め方」が発行され、「学校、家庭、地域が実態に応じて、性教育を組織的かつ体系的に展開することが求められています。」という基本的な考えが示され、同年、「男女共同参画社会基本法」が公布・施行され、「男女の人権の尊重」、「社会における制度又は慣行についての配慮」などの5つの基本理念が示された。
しかしながら、2002年に全国の中学生に「思春期のためのラブ&ボディBOOK」(母子衛生研究会作成)という小冊子を配付する計画がなされたが、配付直前になって、「ピルの勧めになる」「コンドームの使い方を中学生に教えるのはゆきすぎだ」などの意見が出され、結局、配付が中止になったり、2003年には、東京都立七生養護学校での性教育実践が、不適切と判断され、教職員を処分するという事件も起こっている。最近では、それらのことがきっかけとなり、「行き過ぎた性教育」ということでパッシングされている状況にある。また、国外に目を向けるとアメリカでは、禁欲教育の推進とあいまって性教育で扱う内容をめぐる議論が混沌としてきている。しかしながら、いろいろな問題を抱えながらも、今でも性教育が社会的に必要とされているのは事実である。
■何が「性教育」を進めにくくしているか
性教育は必要であるという意見がある一方で、なかなか進まないというのが、多くの教員のもっている思いではなかろうか。性教育が必要ないとする意見については、今も昔も変わらない。それは、「寝た子を起こすな」、「自然にわかる」というものである。例えば、 学校保健と連携して健康教育に取り組むために保健所がアンケートを実施しようとしたところ、「性交経験がありますか」「初めて性交をした動機は何ですか」「避妊しましたか」などの質問に対して、高校側が反発したケースがある。その主張は「生徒たちは純朴で素直であり、そんな生徒に『みんなこんなことをしているのか』と驚かせたり、性行動を助長するものは実施できない」というもので、「寝た子を起こすな」の発想である。
日本での「行き過ぎた性教育」の批判とアメリカの禁欲教育の主張の共通点は、新しい社会の動き、考え方の変化を取り入れないということである。日本では、行き過ぎた性教育を「性器教育」「コンドーム教育」として、知らなくていい世代にまで教える必要はないと批判している。また、アメリカの禁欲主義教育では、性交に伴うリスクを減らす唯一の方法は、結婚まであらゆる性的活動において禁欲であり続けることであると推奨し、避妊については基本的事実も教えないとしている。
確かに、性の知識は、年齢・発達段階を考えて教えるべきである。しかしながら、社会の変化の中で、教育内容も伝え方も変化することが当然あると考えなければならない。かつて、歴史上、軍事力を維持するために「事実があってもない」と教育したように、教育を、権力を守るための「体制を維持する装置」としてはならない。そして、体制を正当化するのに都合の良いように情報を歪曲することがあってはならない。
アメリカの禁欲教育プログラムは政府の補助金を受けて実施されているが、その内容について、「連邦政府の補助金による禁欲教育プログラムの内容」という報告書(2004)で、その問題点が指摘されている。禁欲主義プログラムの80%以上に、「リプロダクティブ・ヘルスへの不正確な、誤解を招く、歪曲された情報が含まれていることを明らかにしている。例えば「『コンドームは性感染症の拡大防止に役立つ』という一般に見られる主張には、データの裏付けがない」や、「知的障害の主な原因である未熟児の出産は、最初の妊娠を人工中絶したことによって増加する」、「HIV感染の危険要因として汗や涙に触れることがある」などがある。また、「女性は『経済的支援』を必要とし、男性は『賞賛』を必要とする」にみられるようにステレオタイプの性別役割分業の観念が科学的事実として扱われているなど数多くの間違った内容が含まれている。避妊については基本的事実も扱わない。科学的に誤りを含んだ情報で警告することによって、性行動を抑える発想なのであろうか。「コンドームは、性感染症について十分に防止しない」というメッセージから、「コンドームは役に立たない」と理解したり、結婚まで禁欲することに価値を置くことによって、性的虐待を受けた生徒や、法的に結婚できない同性愛の生徒達が排除された気持ちになるとしたら、どうするのであろうか。このように性教育をめぐる社会状況は混沌としている。
■学校教育での性教育はどのように進められるのか。
これまでの学校教育は、全体としての規律や画一化が優先する集団指導に重点をおいたシステムで運営されてきた。それは、多くの生徒に、効率的に教育を提供する必要があったからである。教育を円滑にするには、集団を管理する必要がある。秩序を守らない、あるいは、自己主張する生徒は排除する必要があった。それは、社会でも一定のルールを守ることができなければ社会を乱すから、学校は社会適応させるために教育する役割があるという考えがある。1980年頃に校内暴力事件が多発し、教師に対する暴力事件が大きな社会問題となった時期があるが、運動場に整列させて生活検査をするなどの徹底した管理で対応した経緯がある。そこには秩序を求める教師と自己主張をする生徒との間でせめぎ合いがあった。
今は、社会的に生徒の人権を考えた指導が求められる時代に変化してきている。その背景には、「リプロダクティブ、ヘルス/ライツ」を提起したカイロ国際人口会議(1994)、女性の地位向上の指針となる「行動綱領」が採択された北京女性会議(1995)、男女共同参画社会基本法の公布(1999)などに象徴される、女性の人権を守る社会的な大きな動きがある。日本では、旧来の性別役割分業の考えが一般化しており、教育現場でも、性行動では「女子高生の性の乱れ」と表現されるように女性の性経験ばかりに好奇の目を向け、中絶や望まない妊娠などで「傷つくのは女だけだ」といわれるように、男女で非対称的な意識の歪みが存在している。「男女共同参画」を進める動きは、社会の文脈の中に始まり、一定の理解の拡がりを見せている。それは、社会的に多くの人が共有できる必然性を認識したからこそであって、決して一部の推進する人たちがうるさく要求したからだけではない。このような流れに対して、「このままでは日本は滅びる」として旧来の価値観が滅びることが日本の破滅と考えて反対する人たちがいる。日本における「行き過ぎた性教育」批判、アメリカの禁欲教育の推進は、旧来の価値観を守ろうとするものである。
教育に新しい局面が登場したとき、誰しも迷いがあり、拒絶する面がある。例えば、「情報」の授業が高等学校に導入される前の1997年に文部省が教員(小学校36校・451人,中学校10校・170人)に,「コンピュータ教育」の導入についてのアンケートを実施した。その中に「自分がコンピュータの研修をしてからでないと,生徒には使わせない方がいい」という意見に対する賛否を問うものがあったが,「そう思う」が40%,「そう思わない」が31%,「どちらとも言えない」が27%であった。賛成する意見の根底には,知識として「教員>子ども」でなければ,教材として扱わない方がいいと言う考え、つまり、「知識を持ったものが持たないものに教える」という従来の集団指導的な教育観の呪縛がある。
確かに、性行動で「性交をしない」という選択は、リスクを避ける有効な方法である。しかし、思春期には急激な身体の性的発達に不安になったり、社会経験も少なく、性情報に翻弄されたりするので、性行動に走ったり、性被害にあうこともある。そのときにリスクを減らす教育が必要である。しかしながら、そのリスクを減らすための教育は、恐怖感などの外圧で行動を抑圧するものであってはならない。より正しいことを一方的に「与える」のではなく、どうするかを「自分で考える」過程が大切だと考えている。あふれる情報の中で、外圧ではなく、自分自身で理解し、考えて、「・・しない」と判断できる力を養うことが必要なのである。性教育は、教師自らが当事者として「どのように生きるか」を考える教育であり、「管理」する立場では生徒の自己決定力を育てることはできない。
今、学校教育は新たな局面を迎えているのではないだろうか。「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」の流れが、時代の要請を受けたものだとしたら、多くの人の幸福に繋がるように、育てていかなければならないのではないか。授業「生命」の実践は、模索としての試みである。総合的な学習の時間の枠で、遠回りしたやり方かもしれないが、生きていく上で「大切なもの」が伝えられると考えている。
投稿者: 秋山繁治 日時: 17:15|パーマリンク |コメント (0)
山陽新聞 「談論風発」のコーナー 2002年12月朝刊
岡山県性教育協議会で、教師対象の性教育についてのアンケートを行ったことがある。「性教育が必要ですか」という質問に、 97%が「必要である」という答えであった。その理由については、全体的には「自分を大切にして欲しい」という、生徒への直接的な要望をあげているが、男性や年齢の高い世代では「性道徳の低下」という社会への影響を理由としてあげる比率が高くなっている。
この背景には教育活動についての考え方に性別や世代によって大きな違いがあることを示している。教育活動を個人の幸福に帰着させるものと考えるか、または教育活動を社会に対する役割を果たすものと考えるか、の違いを表している。前者から見れば、後者は個人を大切にする視点を欠いているととらえられるし、逆に後者から前者をみれば、個人主義だととらえられることになる。
性教育の必要性は多くの教師が認めているが、性別や世代によって求める方向が異なり、そのことが性教育を進めにくくしている。
小冊子「ラブアンドボディ」
性教育が必要だといわれながら、なかなか進まない状況で、中学生に必要な性の基礎知識を与えるということで、全国の中学生に「思春期のためのラブ&ボディBOOK」(母子衛生研究会作成)という小冊子を配布する計画がなされ、話題になった。
配布直前になって、「ピルの勧めになる」「コンドームの使い方を中学生に教えるのはゆきすぎだ」などの意見が出され、結局、配布は中止にされた。しかしながら、一方で「寝た子を起すな」的な考えでは、現状に対応できないとし、配布すべきだったという意見が今もある。
今、高校3年生の性交体験者は4割を越し、未成年の中絶者が年々増えている状況を考えると、私自身は「避妊を教えることが、性交をすすめる」と危惧するより、学校教育で必要な性の基礎知識を的確に与えることを優先したいと思う。
広い視点で性教育を考える
「中絶をする」、「望んでいないのに出産・子育てをする」ということは、避けるべきである。そのために性の知識を的確に教えることが必要である。しかしながら、性教育を生命尊重の視点だけで考えて欲しくない。
性については、「女子高生の性の乱れ」と表現されるように女性の性経験ばかりに好奇の目を向け、中絶や望まない妊娠などで「傷つくのは女だけだ」といわれるように、男女で非対称的な意識の歪みが現在でも存在し、また、同性愛などの性的なマイノリティに対する偏見も根深い。
性教育は、性のあり方によって差別されない社会をつくっていく役割も担っていかなければならない。自分自身の人権意識を高め、そして、最終的に、生徒が自分自身で考え、どのように行動するかを選べる力(自己決定力)を持つようになることを願って性教育に取り組みたい。
総合的な学習のテーマに「性」
来年度から高校でも新教育課程が始まり、「総合的な学習」の時間が盛り込まれ、今までの教科の枠を越えた授業が誕生する。「総合的な学習」を、人間として生きる力を身につけるために設定するなら、「性」も大きな一つのテーマになるのではないだろうか。
山県性教育協議会 秋山繁治
投稿者: 秋山繁治 日時: 17:15|パーマリンク |コメント (0)
■インターセクシュアル(インターセックス)
「半陰陽」と呼ばれてきた。身体の性別(SEX)が明瞭でない人を総称する。
■カミング・アウト(カムアウト)
本来は、同性愛者であることを他人や社会に対して開示すること。「クローゼットの中から出てくる(coming out of the closet)」という成語の短縮形として使われるようになった。カムアウトともいう。
現在では広く、黙っていればわからないマイノリティがマイノリティとしての自己を開示する意味でも用いられている。クローゼットとは、同性愛者が自分の性的指向を隠しておくために閉じこもっている場所の比喩。
■ゲイ(男性同性愛者)
男性という自覚を持ち、男性が恋愛対象や性的対象となること、またそのような人。男性同性愛、男性同性愛者。ホモセクシュアルともいう。ホモ、オカマという言葉が使われることもあるが、侮蔑的な意味合いが含まれるため、不快感を持つ当事者も多い。
■ジェンダーフリー
性別による固定的な社会的役割に縛られない状態。個性の一部として性・セクシュアリティを捉え、ジェンダーの前提である性別二元論そのものを無効化していくことをも含んだ概念。
■性自認(ジェンダー・アイデンティティ)
自分自身の性別をどう認識しているかということ。女性、男性、どちらでもない、どちらでもある、時により変化する、など多様である。FTMは、「female to male」で「女性から男性へ」、つまり、生まれたときの身体の性別は女性だが、男性としての自覚(性自認)をもっている人をいう。MTFはその逆の場合である。
■性的自己決定権
自己の性別や性的指向など性に関わる基本的な事柄について、正確な情報を得て自己判定し、決定するとともに、性と生殖に関わる選択について自ら決定する権利。判断の基準となる情報が自由に手に入れられることが大前提になる。
■性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)
恋愛感情や性的欲望がどの性に向かうかということ。「嗜好」の語を思い浮かべる人もいるだろうが、本人の意思で変えられる性格のものではないという意味で「指向」とされる。
■性同一性障害(GID:Gender Identity Disorder)
身体の性(SEX)と性自認の間に何らかのギャップがあること。
■性別二元論
ジェンダーや強制異性愛の前提となっている女と男の二つの性しか存在しないという考え方。
■社会的性役割(ジェンダー・ロール)
生物学的性別(sex)に対応する女・男という社会的性別(gender)によって社会的文化的に期待され、押しつけられることで後天的に身につける役割。社会や時代によって異なる相対的なものだが、男性が優位に、女性が劣位に位置づけられることが多い。「女は女らしく」「男は男らしく」を筆頭に、さまざまな言葉や表現によって日々刷り込みを受けている。
■セクシュアリティ
ジェンダー、性自認、性的指向の三つの要素からなる性的欲望とその充足に関わるあらゆる感情・心理と行動のありよう。
■セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)
性自認と生物学上の性が一致しているヘテロセクシュアルをセクシュアル・マジョリティ(性的多数者)と呼ぶのに対し、それ以外のレズビアンやゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、インターセックスなどを総称する語。このうちバイセクシュアルを両性愛(者)と訳することもあるが、性別が重要な要素ではない場合も多いので、的確とはいいがたい。
■トランス・ジェンダー
戸籍上の性や生物学的性、それらによって強制されるジェンダー・ロール(社会的性役割)に違和感をもち、もう一方の「性」を生きようとする人々を、広義の意味でトランス・ジェンダーと言う。
■トランス・セクシュアル
トランス・ジェンダーのなかでもとくに、性自認と自身の生物学的性の間に痛烈な違和感を持ち、外科的手術を望む人のことを狭義の意味でトランス・セクシュアルと呼ぷ。障害という語がつくのは間違っているのではないかとも思われるが、医療行為が病気に対して行うものという前提があるため、受け入れざるを得ないという状況がある。
■半陰陽(インターセックス)
両性の特性をあわせ持ち、解剖学的に男女の区別の判断ができない中間性を有する状態、あるいはそのような人。
■ヘテロセクシュアル(異性愛著)
女性という自覚を持つ場合には男性が、男性という自覚を持つ場合には女性が、恋愛対象や性的対象になること、またそのような人。異性愛、異性愛者。
■レズビアン(女性同性愛者)
女性という自覚を持ち、女性が恋愛対象や性的対象となること、またそのような人。女性同性愛、女性同性愛者。この語を省略形にしたレズという言葉はポルノ的なイメージが強く、侮蔑的な意味合いが含まれるため、不快感を持つ当事者も多い。